その刃が人を殺す
誹謗中傷、と聞くと、Twitterを思い浮かべる。
それくらい、Twitterには誹謗中傷が飛び交っている。
言われのない嘘だろうが、それがその人にとって言いたいことならば、気の向くままにポンポンと打って、ツイートする。
Twitterというツールの、ある種弊害なのかもしれない。
「そんなことをよく平気で言えるな」というツイートも、僕のTLにはちょくちょく流れてくる。
まぁ、そういうツイートをする前に考え直せ、と言ったところで無理な話だろう。
考え直す前にツイートする癖がついているなら、それはほぼ不可能だ。
きっと、その人にとっては誹謗中傷すらストレス発散の道具なのだろう。
『とりあえず、言いたいことはよく分からないけど、ムカつくので』
「そういうツイートを見て相手がどう思うでしょう?」なんてことは微塵も考えないし、「自分に向けられた言葉だとしたら?」というのも考えない。
普段から攻撃することばかり考えているから、そうなるんだろうなあと思う。
『ムカつく、イラつく、叩きたい、そうだ、身近に格好の獲物があるぞ』
『叩き潰してしまえ』
個人的には、いじめと何が違うのか全く分からない。
「いじめはいけません」というのは理解してるのに、そういうことは平気でする。
おそらく、相手に届くと思っていないのだろう。
『こんな隅っこの一言がダメージになるわけない』
『とりあえずそいつを叩いてスッキリできればそれでいいんだ、そいつが死のうが知ったことではない。まず、こんなツイート、見やしないだろう』
そういう感覚か。
そこに、正義はあるのだろうか。
どこに、論理があるのだろうか。
そもそも、普段から物事をきちんと考えているのか、疑問に思う。
大抵の誹謗中傷は短絡的だからだ。
直感的な言葉の羅列。
相手にとって理解しやすいからこそ、それが目に入る時には、より突き刺さる。
批判と誹謗中傷は違う。
指摘と誹謗中傷も違う。
誹謗中傷を平気でする人間の気持ちはよく分からないが、そこから理解する必要があるのではないだろうか。
もっと遡れば、「あいてにやられていやなことは、しないようにしましょう」だ。
幼稚園生でも分かることをなぜ大人が?
分かっているなら、実践しないといけないではないか。
「些細な誹謗中傷という名の刃が、人一人を殺す」ことを、僕も含め、十分注意しなければならない。
匿名性の高いコミュニティならば尚更だ。
それが出来ない人間は、まずそのコミュニティに属する資格すら、いっぺんもない。
もう一度だけ言いたい。
その刃が、人を殺す。