生きること、死ぬこと。
生きることに意味はない、と考える人がいます。
確かに、意味はありません。
考え方次第でどのようにも受け取れる「生の意味」は、人間が生まれてから死ぬまでの永遠のテーマです。
自分は、生き様とは死に様であると考えています。
死ぬ時はいつも独りです。
もちろん、ベッドのそばに家族や大切な仲間がいるかもしれません。
しかし、独りで死んでいくのは事実。
その時に、「なぜ生きてきたのか、自分の人生とはなんだったのか」を考えると思うんです。
それこそ、生き様なんじゃないかなと。
世の中には、大きな罪を犯して死刑となって死んでいく人がいる。
世の中には、幸せな家庭に包まれ、幸せな家庭に囲まれて死んでいく人がいる。
同じ人間でも、死ぬ時に考える内容は別でしょう。
その時に初めて、「自分が人生でしてきたことの意味、人生とは何か」が本当にわかる時が来るんだと思います。
宗教的な話ではなくて、あくまで自分の感覚的な話です。
終末医療を受けることになりました。
— もゆ (@moyu_qjt) 2019年11月8日
今までありがとうございました。
悔しいです。
死にたくないです。
でも苦しみたくないです。
余命宣告を受けて、終末医療を受ける人。
どんなことを考えるのでしょう。
もう長くは生きられないけど、今を必死で生き抜いていくしかない。
その時に、「自分が人生でしてきたこと」を考えられるでしょうか。
なかなか難しいんじゃないかな、と思います。
もし、その人に死ぬまでに自由な時間が与えられたとして、大自然を見に行くとします。
大自然を目にした時、どんなことを考えるのでしょう。
「生きてきてよかった」
「地球にはこんな自然があったんだ」
「生まれてきてよかった」
「地球は凄いな」
そんなことを考えられる人は、最高に幸福な人だと思います。
世界で一番不幸せな人はなんでしょう。
家族を皆殺しにされた人でしょうか、愛する人を失った人でしょうか、全ての財産が流れていった人でしょうか。
自分は、それよりもっと不幸せなことがあると思います。
「人の感情をなんとも思わない人」
です。
人には感情があります。
十人十色の感情がある中で、自分以外の感情を切り捨てられる人。
不幸せなことだと思います。
幸せな生き方をする中で1番大切なことは、「自分以外の人を大切にすること」だと考えています。
人間は、死ぬ時は独りです。
でも、生きる時は独りでしょうか。
絶対に違います。
たくさんの人と関わって、生きていくのです。
人間は社会的な動物です。
単独で生活することなど現代では不可能です。
だから、「自分に足りないものを埋めていくこと」が生きる意味だとしたら、他の人は「生きる手助けをしてくれる人」だと思います。
世界80億人の中で、様々な人と関わり合う。
自分のことが好きな人も、嫌いな人もいる。
だからこそ、自分にとって大切な人を見つける、それは必要なことだと思います。
人1人を大切にできない人が、多くの人を大切にできることはないでしょう。
周りに感謝をして、大切にする。
死ぬ前に人は、今まで意識しなかったことを考えます。
「お世話になった、ありがとう」
とたくさんの人に感謝をします。
自分の祖父もそうでした。
「世話になった、沢山の人に世話になった」
と言って死んでいきました。
人を大切にすることで、感謝の心が生まれます。
死ぬ前にそういうことが言える人は、人を大切にして生きてきた幸せな人だと思います。
生きる意味を考えて、どうやったら幸せに生きられるのか。
1日1日、もう戻らない日。
まずは、人に少し優しくなることから始めようと思いました。
そんな、11月9日。